2007年7月24日火曜日

空を見て考えた



執着するということの、あまりの苦痛。
そして、その支配されたがりなこころのありかた。

あきらめるというのではなくて。
忘れてしまうというのでもなくて。
放棄するというのとも、ちがう。

執着を捨てること。

ただ手放す、という別れを学ぶこと。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんわ。
お久しぶりです・・・
なんとお引越しされていたんですね。びっくり。
以前、なぜかリンクが登録できなかったので、こちらはどうかな?
アクセス簡単にできるようになればいいのですが・・・_(^^;)ゞ

ところで・・・プール行かれたのですね。童心に戻れましたか?(笑)
大人になってからは日焼けが気になって、なかなか太陽を思いっきり浴びるということが無くなっちゃいました。

匿名 さんのコメント...

maochanokさん、コメント、ありがとうございます。

引越のごあいさつもせず、もうしわけありません。
おからだのぐあいはどうですか。
頭痛やめまいというのは、他人からはわかりにくい。
本人も「こんなもの」と痛みに慣れてしまうみたい。
でも、それもからだがなんらかの危険信号を出していることに、
かわりはありません。
maochanokさんは医学系の人だったと思いますが(ですよね?)、
専門家さんだからこそ甘く見てしまう、ということは、
おうおうにしてあるものです。
ご自愛ください。

と、これは釈迦に説法、よけいなお世話でした(笑)。

そうそう、プールは童心に戻れますよね。
絵日記を書きたくなります。
調布には屋内の市営プールもあるので、
夜、泳ぐならこちらです。
でも屋外のプールがやっぱり気持ちいい。
2時間も泳ぐと、体重もぐっと落ちますし。
と、これは童心ではあまりない考え(笑)。