投票日の朝に
ローレンス・ブロックに、
「バッグ・レディの死」という短編小説があります。
私立探偵マット・スカダーのもとに弁護士がやってきます。
ある女性からあなたに遺産が託されている。
受け取ってもらえないか。
遺産をのこしたのは、メアリー・アリス・レッドフィールド。
ニューヨークで暮らしていたショッピングバッグ・レディでした。
けれど、スカダーは彼女と親しいわけではありませんでした。
ほとんどおぼえていなかった。
そういえば道端で彼女から新聞を買い、
釣り銭を受け取らなかったことがあったかもしれない。
そんなことを思い出せるくらいにしか。
ホームレスのような生活をしていたメアリー。
けれど彼女には、
じつは資産があり住むとこころがあり家族もありました。
なのに彼女は、
道端で新聞を売って小銭を稼ぐ、
買い物袋をかかえて歩く日々を選んでいました。
ある日、道端で刺されたうえに首を絞められ、
そのまま路地で死んだメアリー。
その彼女が、
見ず知らずのスカダーにおくった千二百ドルもの遺産。
また彼女は、スカダーのみならず、
三十二人の友人とも知人ともつかない人たちにも、
さまざまな額の遺産をおくる遺言をのこしていたことがわかります。
いくつもの小さな《なぜ?》。
名前も知らなかった女性がのこしてくれた、
理由のわからない千二百ドル。
彼女が自分にそれだけの価値があると勝手に思ってくれた?
じゃあ、それはそれでいいではないか。
スカダーはそう思おうとします。
だが、そんなふうには考えられなかった。
どういうわけか、金が私の心を噛んだ。
そう述懐して、
スカダーはひとりでメアリーの事件を調べはじめることになります。
そして……。
ローレンス・ブロックの小説のなかで、もっとも好きな小説です。
この「こころを噛む」「こころが噛まれる」という表現が、
以来、気になるようになりました。
この台詞自体が「こころを噛んだ」という感じでしょうか。
そしていまでも、ぼくは噛まれたまんまです。
* * *
こころを噛んだ、というのとはちがうかもしれませんが、
最近、気になっていることばがあります。
自民党から立候補した丸川珠代さんという、
東京選挙区の候補者のポスターに掲げられている、
スローガン?コピー?です。
日本人でよかった。
ご本人が考えたのでしょうか。
支援している「えらい人」が決めたのでしょうか。
それとも、広告代理店がひねりだしたのでしょうか。
意味不明、というより、その意味するところがさっぱりわからず、
その穴の抜けぐあいというか底のしれない深さに、
街でポスターを眺めるたび、
気味の悪い空虚をそこに見てしまいます。
この人の政治家としての資質についてはわかりません。
住民票云々で選挙権がしばらくなかった、
というのは、おっちょこちょい。
ずぼらだとは、まあ、いわないでおきましょう。
そのため最近は選挙にいってなかった。
投票所へいってはじめて自分に投票権がないことに気づくようでは、
有権者に笑われてもしかたがない。
とはいうものの、
与えられた選挙権をすべて行使することと、
その人の政治家としての資質・能力については、
じつは、正直、あまり関係ない気がします。
公約を読んでも、中身はない。
でもそれは、この人だけでなく多くの候補者に共通します。
最近の閣僚の失態や言動を考えると、
今後、厚顔無恥ささえ身につければ、
ごくふつうに政治家としてやっていけるような気もします。
残念ながら。
当選したらきちんと仕事をしてほしい。
落選したなら、その瞬間こそが、
政治家としての本当のスタートなのだと思います。
ところで、
住民票が東京になかったあいだに源泉徴収されていた住民税。
こういうのって、どこに収められていたんでしょう。
実際のところ……。
ともあれ、
日本人でよかった。
このことばの、
意味というものに関しての無自覚な感じや、
あっけらかんとした暴力性に、
ぼくは唖然としてしまうのです。
* * *
投票日をむかえた参議院選挙。
すでに期日前投票をすませてあるぼくは、
今夜の選挙速報を楽しむだけとなりました。
なにか大きな変化がおこるかもしれない。
おこらないかもしれない。
政界の再編成がおこるかもしれない。
おこらないかもしれない。
けれどそれでも、
日本では「こういう政治」がしばらく続いていきそうです。
首相が交代しても、政権が変わっても、
根底はなにも変化しない、日常。
AがA’になり、A’’になりA'''へと移っていくだけ。
でも見回してみると、
そうでない国も世界にはたくさんあります。
政権が変わることが、
即、国の根幹をゆるがしかねないような国。
国そのものが解体しかねない政治情勢にある国……。
はたからみているとそのドラスティックなさまは、
文字通りドラマティックかもしれません。
でも、その渦中にいる人たちは、
ストレスの多いたいへんきびしい状況を強いられます。
ドラマティックって、当事者は、ものすごくつらいもん。
そんなにつらいくらいなら、
平和ボケといわれている状態でもいいよ。
そういう選択肢だって、あり、かもしれません。
いっけん平和で安定している社会にだって、
位相の異なる困難な状況というのが待ちかまえているわけですけれども。
そうした風潮にやきもきしている人がいます。
もっとドラスティックに変わらなくては、
この国はダメになってしまうではないか。
でも、人為なんてものに、
それほどたいしたことができるとは、思えなくて。
ゆっくりと朽ちていく、おだやかに老いていく。
どこの政党も「もっとよくする」ばかりでそんなことはいいません。
けれど、
そういう成熟のありかたというのもあっていいと思うのですよね。
そこに美しさを見出してその美しさを愛でるというのも、
かつての日本人は得意だったと思うのですが、どうでしょう。
あ、しまった。
投票日ということで、思わず政治的な発言。
次回は「宝くじが当たってしまった」話でも。
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