買い物曜日
新宿を歩き回って、買い物。
都心で買い物をするのは、たぶんこれが最後。
来週はもう帰省してしまうので。
クリスマスプレゼント(もちろん自分用)に、革のジャケット。
値段は……むむう、ちょっと思い出したくないぞ。
陽差しの暖かさ。
せわしないような、のんびりとしているような。
不思議な時間が流れていた午後。
little writing による little write
松田翔太演じる秋山深一。
その名台詞「このゲームには、必勝法がある」をまた聞きたくて、
テレビドラマ「ライアーゲーム」をまとめてレンタル。
会員になっているビデオ屋さんは、
いつもの無愛想な店員さん。
いや、無愛想というより、つねに不機嫌、か。
DVDの貸し借りの手続きに、愛想なんて必要ないのかもしれない。
それでも最低限の接客態度というのは、
あると思うんだけどなあ。
なんというか、
ジュースの自動販売機のほうが、まだ、よっぽど愛想がある。
そんな感じだ。
不機嫌というのは伝染する。
風邪なんかとは比べものにならないくらい感染力が強い。
なので、できれば近寄りたくないのだけれど、
ここまで徹底して不機嫌な人というのは、
なんというか、妙に印象に残ってしまう。
仕事中だけの不機嫌かもしれない。
それ以外のところでは、彼も笑顔を見せるのかも。
でもぼくは、彼の不機嫌は、
目に見えぬ深淵の底知れぬ暗さから立ち上ってくる「なにか」、
その表れのような感じがして、
ときおり、ふと、気になってしまうのだ。
怖いもの見たさ。
ちょっと、そんな感じ。
彼のたたずまいというか傍若無人ぶりというか、
ぶすっとして、荒々しい接客というのは、
それはそれでその店の風景に馴染んでいる気もする。
ビデオレンタル店にふさわしい、殺伐。
といったところか。
以前から、
こういうCDのジャケットやPVは、
反則、のような気がしてしかたない。
じゃあ、買わなきゃいいんだけどね。
ええ、わかってますってば。
視聴することなく購入した楽曲。
あらためて聴いてみましたが、よくわからん。
くりかえしては、たぶん、聴かない。
彼らの音楽が云々、ということではなくて。
ぼくがいまどきのこういう歌についていけないだけのこと。
FUNKY MONKEY BABYS - もう君がいない (Single)
FUNKY MONKEY BABYS - もう君がいない (Music Video)
ねこのパン屋さんが、金魚鉢を見つめている。
金魚鉢のなかには、二匹の金魚。
ねこのパン屋さんは、ほおづえをついて、
ゆらめき踊る金魚を目で追っている。
アーモンドの形をした目を、
ふだんの倍くらい、大きく見開いて。
すると、
ねこのパン屋さんの視線に反応したかのように、
二匹の金魚は、ぽっ、と燃え上がる。
水のなかでゆらめく小さな炎、ふたつ。
熱くないのか、驚いたようすも見せず、
金魚たちはぱくりぱくりと口を動かしつづけている。
二匹をつつむ青い炎は、
紫に、オレンジに、
ふるえながら色をかえていく。
ガラス細工のような燃焼。
ねこのパン屋さんは、そのようすを、
ほおづえをついたまま、じっと見つめつづけている。
スポーツクラブにいったら、
インストラクターのみなさんが、
着ぐるみを着て、うろうろ。
「ハロウィンだからなんですよ」という。
へええ、ハロウィンって今日だったのか。
知らなかった。
見ると、あちこちにそれらしい飾り物。
ところでハロウィンって、
そんなに一般的なイベントになってるんですかね。
正直、こう、どうにも肌になじんでいない感じ。
くすぐったくて、ちょっぴり気恥ずかしいような。
プールでは、がしがしと泳ぐ。
こちらのインストラクターさんたちは着ぐるみではない。
あたりまえか。
でも、ちょっと残念。
十月末日、忘れちゃいけない。
スポーツクラブの会員期限を更新。
会費を一年分、まとめて支払う。
お、太っ腹。
というか、リーズナブルなコースだからこそできました。
デパートの地下、食料品売り場を歩く。
かぼちゃのケーキだのプリンだのがずらりとならぶ。
おいしそうだなあ、と手に取りかけて。
あれ、ハロウィンってかぼちゃを食べるお祭りだっけ???
ずいぶん涼しく、ときには肌寒さすら感じる季節。
あたたかい飲み物のよさが、
ぐぐっと引き立つようになってきた。
このごろ飲んでいるのは、セージティー。
写真は寒々しくなってしまいましたが、
実際は琥珀色のお茶です。
樟脳のようなにおいがきつい、なんて話もある。
そんなにおい、するかね。
すくなくともぼくは平気。
ハーブ関係のお茶に、どうやら耐性があるらしい。
味というかのど越しは、なめらか。
ものたりなく感じられるほど。
濃いめに淹れてみたくなるのは、注意。
効能はいろいろあるらしい。
そのへんはさっぱり体感できませんが。
「秋眠」暁を覚えず。
この季節特有のだらりんとしたくなる気分に、
えいっ、と活を入れるには、
コーヒーなんかのほうがいい。
ふだんあまり飲まないようにしているので、
たまに飲むと、すんごく効きます。
ハーブティーは鎮静とリラックスをうながす飲み物。
なんだか気持ちよく眠れてしまう。
まあ、飲まなくったって眠れるんですけどね。
もしくは、おむすびとたまご焼きとコロッケの余韻。
もうしわけないけれど、
おむすびは梅干しなしのほうがうれしい。
というのは極私的意見なので、
ええ、聞き流してくださいね。
* * *
国立新美術館にて、
《フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展》を観る。
会場を出たところで、
「なんだ、フェルメールの作品ってこれ一作しか展示がないのか。
看板に偽りありだろ〜、これ」
と、なんどもなんどもなんどもなんども、
くりかえしているオジサマがいた。
もうしわけないけれど、共感して笑ってしまった。
フェルメールはもともと寡作なうえに、
現存しているのは40作品にも満たないのだとか。
なので、しかたないといえばしかたないのだけれども、
オジサンの不満、わからないでもない。
「真珠の耳飾りの少女」とか観たいよねえ。
たしかに。
こちらは写真だけれど、
同時に開催されていた、
《安齊重男の“私・写・録” 1970-2006》のほうが、
インパクトがあって刺激的だった。
ぼく自身はオランダ絵画についての造詣は深くない。
(自国他国の他の絵画についても同様、だけれども)
思い浮かぶのは、レンブラント、ゴッホ、エッシャーくらい。
オランダ、と聞いていっとう最初に連想するのは、
ディック・ブルーナのナインチェ・プラウス。
ふわふわうさこちゃん、なんだよね。
高橋秀実さんに『はい、泳げません』という著書がある。
水が怖くてしかたなかった筆者が、
スイミングスクールに通い、
泳げるようになるまでの始終が綴られたノンフィクションだ。
このなかに「歌いながら泳ぐ」という一節が出てくる。
からだをこわばらせたまま泳いでいると、
息継ぎをしているのになぜか息苦しい。
からだの緊張をほどくために、
では、歌いながら泳いでみたらどうか。
すこしずつ泳げるようになってくると、
かえってフォームが崩れるようになる。
知識が、そして経験が邪魔をしはじめる。
ぼくもいま、その只中。
歌いながら泳いでいると、
たしかに、こう、無心になっていく。
頭のなかがからっぽになっていく気持ちよさがあるのだ。
で、最近は気がつくと、なぜかこの歌。
はずかしいことはない。
いや、ほんとはけっこうはずかしいのだけれど、
ま、水のなか、誰に聞かれるわけでなし。
ぱんぱかぱ〜ん♪ ぱかぱんぱんぱんぱんぱ〜ん♪
思いっきり、かないみかさんが頭に宿った気分で、
ぼくは水を掻いている。
赤ワインは予想以上に効いたみたい。
風邪をひいたときには、
みなさん、ぜひ、おためしあれ。
ヒンジが壊れて、
振るとがたがたと音を立てていた携帯電話。
機種交換なるものを、
携帯電話歴六年目にして、昨日、はじめて。
auがキャンペーンをおこなっていたこともあり、
ポイントと合わせ、ほとんど手数料だけで済んでしまう。
日頃、通話料にどれだけ転嫁されているか。
あらためて思い知らされるね。
来年にはiPhoneが日本でも使えるようになるだろう。
ほんとはそれまで待つつもりだった。
けれど、
キャリアはどうもDoCoMoかSoftbankになりそうな雰囲気。
また、さすがのAppleもこの電話をめぐっては、
ずいぶんばたばたしている印象を受ける。
ま、そのときはそのときのこと。
新しくお迎えしたのは、PanasonicのW52P。
ワンセグなんていらない。
外装のインディゴ シルバーの質感が気に入って。
半面、開いたときのカラーには、どきり。
でも、それも五分で慣れてしまった。
室内でiPod nanoで、
このところずっとヘビーローテーションさせているのが、
この不思議なグループの不思議なサウンド。
琴線に触れるというか、脳内にひっかかるというか。
くりかえされるリズムにくりかえされるフレーズ。
中毒性があるのですよね。
ピチカート・ファイヴっぽいところも、ある。
ファンだと公言するのは、どこか気恥ずかしい。
しかしまあ、
このご時世にCD3枚、買い求めちゃったくらいだから、
好きなんだろうなあ、やっぱり。
「ポリリズム」もいいですね。
いちばん気に入っているのは、でも、この曲。
♪チョコレイト、ビスコ、コ、コ
新宿を歩くなんて、思えばずいぶんひさしぶり。
うだるような暑さのなか。
四谷三丁目で開催されている、
「グループ針穴魂 第一回写真展」に足を運ぶ。
「はりあなのこころ」のしきはんさん、いらっしゃる。
でも照れくさくて、声をかけることができず。
そのかわり、
中村一夫さん、大手久美さん、
そしてしきはんさんの写真を、しっかり目に焼きつけて。
会津喜多方ラーメン坂内・小法師にて、昼食。
中華風冷やしラーメンを食べるも、後悔。
四谷三丁目駅すぐそば、
東京消防庁の消防博物館に寄って、
歴代の消防自動車や消防ヘリコプターを眺めて歩く。
新宿駅に戻って、
カメラ屋さんのような電気屋さんのような、
電気屋さんのようなカメラ屋さんのような大型店を、
しばしうろつく。
どの店も、ポラロイドのインスタントカメラなんて、
もう扱ってないんだね。
みなさん、フィルムとか、どうやって入手してるんだろ。
南口、紀伊国屋書店で、
エドワード・レビンソン
『エドさんのピンホール写真教室 -スローライフな写真術』
『フォトサプリ -フォトグラファーが大事にしている176のことば』
を購う。
歩きっぱなしで疲れる。
うろうろというより、ふらふら。
西口の献血センターで休息をとりつつ、
ついでに400cc、献血。
血を抜かれている最中、知り合いのDJくんに出くわす。
やあ、ひさしぶり。
妙なところで会いますなあ。
たがいに近況報告。
「こんどこういうイベントやるんすよ。
よかったら来てください」
渡されたフライヤーには「アニソン クラブ イベント」の文字。
そんなのがあるんだ、というか、成り立っているんだ。
ふうううん。
疲れきってしまったので、今夜は焼き肉。
泳ぐようになってからというもの、
だれると、むしょうに肉が食べたくなる。
夕方、すこし早めの夕食を、定食屋さんで。
熱々の唐揚げ定食をはふはふいいながら食べつつ、
テレビで首相の辞任報道を眺めていました。
しかし、すごいタイミングで辞めるなあ。
ここ最近、NICOLA入力を練習中です。
いわゆる「親指シフト」ですね。
現在のローマ字入力のブラインドタッチ
(って、いま使っちゃいけないんだっけ?)は、
かつて、ワープロ専用機、シャープの書院を使って、
ほぼ1週間でマスターしたものです。
おなじくらいの時間で習得できるといいのですが、
ローマ字入力がすっかり身についてしまっているからなあ。
意外と時間がかかるかも。
そういえば「音痴」ってなおすことができないのだそうです。
いちどまちがえておぼえてしまった音程というのは、
修正することも忘れることもできない。
正しい音程をくりかえし身に染み込ませることで、
正しいほうの記憶を強固にしていくしかないのだとか。
うしてけせはときいん
新しい運指は、
さあ、どのくらいで、
ローマ字入力の記憶を乗り越えることができるのでしょうか。
メロンパンとイチゴメロンパンを食べようとしていた、
まさにそのとき、
ぴろりろりーん、
メロンパンナちゃん、と書かれているメールが届きました。
こんなちょっとした偶然に、
目の前のメロンパンとしばらく見つめ合ってしまった。
メロンパンナちゃんで、
アンパンマンを連想できるようになったのは、ごく最近。
アンパンマン
↓
やなせたかし
↓
詩とメルヘン
↓
休刊(残念)
という連想はできていたのですけどね。
アンパンマンの登場人物で知っているのは、
・アンパンマン
・ばいきんまん
・しょくぱんまん
・ジャムおじさん
・ドキンちゃん
くらいでした。
あ、あと、どらやきみたいな人物もいたような。
メロンパンナちゃん、あらためて見ると、
かわいいですねえ。
でも、メロンパンナちゃんと聞いて、
真っ先に思い浮かべてしまうのは、
じつは、雅山、なのでした。
雅山ブログ » 恥ずかしい(*^^*)
http://www.musashigawa.jp/blog/miyabiyama/?p=44
マイクロカセットテープレコーダーが壊れてしまいました。
学生時代、ミニコミ誌を作っていたことがあり、
当時、その取材用にと買ったものです。
ソニー製の廉価なものでしたが、悪名高きタイマーは働くことなく。
先日までずっと活躍してくれました。
途中、アイワの安いICレコーダーに浮気したことがあります。
が、こちらは小さすぎていまいち操作に慣れなかった。
軽いのは利点でしたが、そのぶん存在感もどこか希薄で。
録音中、カセットテープのリールがくるくるまわっているのは、
見ていて安心感があるんですよ。
ぼくも古い人間なので。
とはいうものの、
これから新調するのにテープレコーダーはないだろう。
選んだのは、ローランドのEDIROL R-09。
SDカードに記録する、ステレオマイク一体型。
非圧縮のデジタル録音、24-bit Linear PCMという、
ぼくには高機能すぎる機種。
Appleのサイト内、
《子供たちの感性を豊かにする「音」とMac》
(http://www.apple.com/jp/education/profiles/keioyochisha/)
という記事で紹介されていた、
慶応義塾幼稚舎、サウンド・エクスプローラー部の活動。
(http://sound.dmc.keio.ac.jp/)
そのウェブサイトで使われているR-09を見たときから、
ああ、これはすてきな道具だなあ、と。
本当は、
ソニーのPCM-D1というレコーダーが欲しかったんですけどね。
20万円弱という価格には、さすがに、お手上げ。
R-09も予算オーバーしているんです。
明日からはしばらく水を飲んですごさなくっちゃ。
高性能なわりには、
プラスティッキーな質感でソンをしているR-09。
電池を入れても、まだどことなく薄っぺらい感じ。
スピーカーを内蔵していたら、
ほどよいぽってり感を味わえそうなのに……残念。
それでもこれとGarageBandさえあれば、
ポッドキャストなんてことも簡単にできそうです。
しませんけれど。
さあ、これから使い込んでいきますよ。
たとえば、
ごはんをたくさん炊いて、
冷凍保存するために、
パイレックスのガラス容器をずらりとならべ、
熱湯消毒したのち、
ひとつひとつに、きうきうと詰めていく。
おだやかな気持ちになれる、
なぜだかうれしい時間です。
こういうイラスト図鑑は大好物。
ずーっと眺めていられます。
子供のころにプラモデルで作ったおぼえのある、
なつかしの戦車が、たくさん。
モリナガ・ヨウ『ワールド タンク ミュージアム図鑑』(大日本絵画)
戦車といえば、兵器というおそろしいものの代表格。
けれど、
こうしたものを空想するのも作り出すのも運用するのも人間ならば、
そこにあるのは、むしろ、あまりにも人間的な滑稽さ。
かっこいいけど、間が抜けてる。
自信満々なわりに、いっつもズレてる。
模型少年って、
けっこうそういうことを理解して、
目の前の模型を愛していたりするもんなんです。
撮影した写真を新しくなったiPhotoで管理しはじめました。
ついでにスライドショー風に、
QuickTimeムービーで書き出してみたのが、これ。
斜めのライン、圧縮をかけすぎて劣化が目立っています。
これは今後の課題。
でも、数クリックで写真がムービーに仕上がるのは、
ほんと、ラクでたのしい。
1枚だけ選んであとは捨て写真、とはならず、
束ねることで撮った写真がみな活用できる。
これもちょっと気分がいい。
ちなみに新しいiMovieって、使いづらくない?
まだ慣れていないせいもあるけれど。
当面は、前ヴァージョンを使用することになりそう。
さて、Macな方なら、まず問題ないと思います。
Windowsのみなさんの環境では、
上の夕暮れ、きちんと自動再生されていますか。
<8/25付記>
ムービーを作り直してみました。
写真をあらかじめリサイズしておくことで、
画像の劣化をおさえることに、成功!
この夏、アニメーションが、
ロシアで劇場公開されて好評を博しているとの話。
もう23年も前の映画なんですね。
なつかしい。
原作を読み返してみたくなりました。
ところがどんなに探しても見つからない。
昨年末、大量に本を処分したなかに紛れ込んでしまったみたい。
とほほ。
というわけで、買い直してみました。
宮崎駿『風の谷のナウシカ』
アニメージュ・コミックス・ワイド版 全7巻(徳間書店)。
「トルメキア戦役バージョン」(?)のボックスセットです。
子供のころの夏休みを思い出しながら、
静かな夜に眺めるには、最高の物語。
映画の主題歌は、
綱渡りの歌唱力で、安田成美さんが歌っていましたね。
じつはすんごいファンでした。
こんなとてつもない本が、
しかし、セットで税込2,780円なんて。
ちょっとした奇跡だと思いません?
ペルセウス座流星群の極大日。
ということで、
1:00から3:30まで、
多摩川の河川敷で流れ星を数えました。
月のない好条件の夜なのに、
空は、星座がなんとか結べるくらいの暗さ。
でも、贅沢いっちゃいけませんよね。
ベンチに仰向けに寝ころんで、
刈られたばかりの芝のにおいと、
湿度の高い夜気のどんよりした感じを味わいながら。
ひとーつ、ふたーつ、みっつ……。
2時間半で34個の流れ星。
もうすこし飛んでくれたらなあ。
火球のひとつも見たかったなあ。
でもまあ、こんなものでしょう。
猛暑だ酷暑だといってますが、
知っていますか、
3時半ともなれば、
東の空にはもうオリオン座が全身を見せているんですよ。
バレーボールのワールドグランプリを観ようとテレビをつけた。
松田聖子と藤井隆が歌っていた。
ここ最近の大会で、
試合前、ジャニーズのタレントが歌っていたのもひどかった。
でも、今回のほうがより醜悪な気がする。
なぜだろう。
Appleのサイトに、
セッターの竹下佳江さんのインタビューがあります。
http://www.apple.com/jp/articles/interviews/athlete/takeshitayoshie/
コート上とはまたちがう雰囲気の竹下選手。
で、こういうくだりがある。
─バレーボールと音楽にまつわるエピソードは何かありますか?
バレーボールって結構タレントさん試合前に曲を歌ったりするじゃないですか。大会大会でテーマ曲があるので、すごく頭に残っちゃうんですよ。
きましたねー、Apple。
ときめきの新製品、発表です。
・新しいiMac
・新しいMac mini
・新しいキーボード
・新しいiLife '08
・新しいiWork '08
・拡張された.Mac
今回の新製品のテーマは、酸化皮膜処理されたアルミニウム。
新しいiMacもキーボードも、おしゃれ。
Mac miniはあいかわらずかわいい。
とくに新しいキーボードのキータッチには興味あります。
どんなんだろ、わくわく。
でも、いらない。
iMacもMac miniも、もともと眼中になし。
キーボードも、新調したばかりのMicrosoftがいいのでね。
エルゴノミクス出してくれるんなら、ぽちっとしてもいいけどさ。
すまんね、Jobs。
iLife '08とiWork '08は、
ビックカメラで購入できるようになったら、即、買います。
もちろんです。
ずっと待ってたんだから。
なんといってもうれしいのが.Macの機能拡張。
容量が10倍になって、
ウェブサイトにオリジナルのドメインが使えるように。
やったー。
これも、ずっとずっと、待っていたこと。
物欲がそれほどくすぐられなかったのは、
うれしいような、さみしいような。
ともあれ、
iPhoneを使えない飢餓感が、これですこし、解消。
公開されたばかりの「トランスフォーマー」を観てきました。
映画館にいくと、あふれる親子連れにびっくり。
さすが夏休み、さすがトランスフォーマー。
と思ったら、いま「ハリー・ポッター」を上映してるんですね。
みんなが手にしているのは、
すっかり青年になった魔法使い物語の割引券。
というわけで、
マイケル・ベイ監督、
スティーブン・スピルバーグ制作総指揮という、
鳴り物入りで公開された変形ロボット映画は、
あれま、拍子抜けするくらい空いていました。
いやあ、でも、たのしかったです。
アトラクション度は「ダイ・ハード4.0」よりも上。
音響のよい館だったせいもあって、
2時間25分、
どどどどど、ががががが、
からだを震わせ、おどろかせてくれました。
ほんと、
ディズニーランドとかの乗り物に搭乗しているみたいでしたよ。
その乗り物の名前が出てこないところがアレですが。
元となったおもちゃやアニメには、
なんの思い入れも思い出もありません。
育った田舎では、そんな変形ロボ、売っていなかったのでは。
見かけた記憶もほとんどない。
そもそもテレビで放送されていなかったんじゃないかと。
脳のスイッチを完全にオフして、
爆走する音響と、
大画面で展開される問答無用のトランスフォームに身を委ねる映画。
8月に入る前からもうすっかり夏バテ気味だったので、
こういう映画はスカッとします、スカッと。
ハリポタに負けるな、われらがトランスフォーマー。
でも、ポップコーンを夕食のかわりにしてはいけませんね。
胸焼けするだけです。
うぐぐ。
ローレンス・ブロックに、
「バッグ・レディの死」という短編小説があります。
私立探偵マット・スカダーのもとに弁護士がやってきます。
ある女性からあなたに遺産が託されている。
受け取ってもらえないか。
遺産をのこしたのは、メアリー・アリス・レッドフィールド。
ニューヨークで暮らしていたショッピングバッグ・レディでした。
けれど、スカダーは彼女と親しいわけではありませんでした。
ほとんどおぼえていなかった。
そういえば道端で彼女から新聞を買い、
釣り銭を受け取らなかったことがあったかもしれない。
そんなことを思い出せるくらいにしか。
ホームレスのような生活をしていたメアリー。
けれど彼女には、
じつは資産があり住むとこころがあり家族もありました。
なのに彼女は、
道端で新聞を売って小銭を稼ぐ、
買い物袋をかかえて歩く日々を選んでいました。
ある日、道端で刺されたうえに首を絞められ、
そのまま路地で死んだメアリー。
その彼女が、
見ず知らずのスカダーにおくった千二百ドルもの遺産。
また彼女は、スカダーのみならず、
三十二人の友人とも知人ともつかない人たちにも、
さまざまな額の遺産をおくる遺言をのこしていたことがわかります。
いくつもの小さな《なぜ?》。
名前も知らなかった女性がのこしてくれた、
理由のわからない千二百ドル。
彼女が自分にそれだけの価値があると勝手に思ってくれた?
じゃあ、それはそれでいいではないか。
スカダーはそう思おうとします。
だが、そんなふうには考えられなかった。
どういうわけか、金が私の心を噛んだ。
そう述懐して、
スカダーはひとりでメアリーの事件を調べはじめることになります。
そして……。
ローレンス・ブロックの小説のなかで、もっとも好きな小説です。
この「こころを噛む」「こころが噛まれる」という表現が、
以来、気になるようになりました。
この台詞自体が「こころを噛んだ」という感じでしょうか。
そしていまでも、ぼくは噛まれたまんまです。
* * *
こころを噛んだ、というのとはちがうかもしれませんが、
最近、気になっていることばがあります。
自民党から立候補した丸川珠代さんという、
東京選挙区の候補者のポスターに掲げられている、
スローガン?コピー?です。
日本人でよかった。
ご本人が考えたのでしょうか。
支援している「えらい人」が決めたのでしょうか。
それとも、広告代理店がひねりだしたのでしょうか。
意味不明、というより、その意味するところがさっぱりわからず、
その穴の抜けぐあいというか底のしれない深さに、
街でポスターを眺めるたび、
気味の悪い空虚をそこに見てしまいます。
この人の政治家としての資質についてはわかりません。
住民票云々で選挙権がしばらくなかった、
というのは、おっちょこちょい。
ずぼらだとは、まあ、いわないでおきましょう。
そのため最近は選挙にいってなかった。
投票所へいってはじめて自分に投票権がないことに気づくようでは、
有権者に笑われてもしかたがない。
とはいうものの、
与えられた選挙権をすべて行使することと、
その人の政治家としての資質・能力については、
じつは、正直、あまり関係ない気がします。
公約を読んでも、中身はない。
でもそれは、この人だけでなく多くの候補者に共通します。
最近の閣僚の失態や言動を考えると、
今後、厚顔無恥ささえ身につければ、
ごくふつうに政治家としてやっていけるような気もします。
残念ながら。
当選したらきちんと仕事をしてほしい。
落選したなら、その瞬間こそが、
政治家としての本当のスタートなのだと思います。
ところで、
住民票が東京になかったあいだに源泉徴収されていた住民税。
こういうのって、どこに収められていたんでしょう。
実際のところ……。
ともあれ、
日本人でよかった。
このことばの、
意味というものに関しての無自覚な感じや、
あっけらかんとした暴力性に、
ぼくは唖然としてしまうのです。
* * *
投票日をむかえた参議院選挙。
すでに期日前投票をすませてあるぼくは、
今夜の選挙速報を楽しむだけとなりました。
なにか大きな変化がおこるかもしれない。
おこらないかもしれない。
政界の再編成がおこるかもしれない。
おこらないかもしれない。
けれどそれでも、
日本では「こういう政治」がしばらく続いていきそうです。
首相が交代しても、政権が変わっても、
根底はなにも変化しない、日常。
AがA’になり、A’’になりA'''へと移っていくだけ。
でも見回してみると、
そうでない国も世界にはたくさんあります。
政権が変わることが、
即、国の根幹をゆるがしかねないような国。
国そのものが解体しかねない政治情勢にある国……。
はたからみているとそのドラスティックなさまは、
文字通りドラマティックかもしれません。
でも、その渦中にいる人たちは、
ストレスの多いたいへんきびしい状況を強いられます。
ドラマティックって、当事者は、ものすごくつらいもん。
そんなにつらいくらいなら、
平和ボケといわれている状態でもいいよ。
そういう選択肢だって、あり、かもしれません。
いっけん平和で安定している社会にだって、
位相の異なる困難な状況というのが待ちかまえているわけですけれども。
そうした風潮にやきもきしている人がいます。
もっとドラスティックに変わらなくては、
この国はダメになってしまうではないか。
でも、人為なんてものに、
それほどたいしたことができるとは、思えなくて。
ゆっくりと朽ちていく、おだやかに老いていく。
どこの政党も「もっとよくする」ばかりでそんなことはいいません。
けれど、
そういう成熟のありかたというのもあっていいと思うのですよね。
そこに美しさを見出してその美しさを愛でるというのも、
かつての日本人は得意だったと思うのですが、どうでしょう。
あ、しまった。
投票日ということで、思わず政治的な発言。
次回は「宝くじが当たってしまった」話でも。
ぼくは、こんや、プールにいってきました。
プールにいったのはひさしぶりです。東京サマーランドにいったのがいちばんさいきんのプールです。いちばんさいきんといいましたが、10ねんいじょうまえのことです。
きょうのために、日よう日、すいえいパンツとゴーグルをかいにいきました。かっこいいんですよ。オリンピックのせんしゅみたいです。すいえいようのぼうしはかいませんでした。調布市のしえいプールはぼうしをかぶらなくていいからです。
ひさしぶりのプールはたのしかったです。ひさしぶりだからおよぎかたをわすれてしまっているかもしれないとしんぱいをおもっていました。でもだいじょうぶでした。
クロールでおよいだら、いきつぎをしないで25メートルおよぐことができました。いきつぎをしなかったのは、いきつぎのしかたをわすれていたからです。いきつぎをしようとするとからだがしずんでしまいます。水をのんでしまいそうになりました。だからいきつぎはこれからべんきょうしなければいけません。しくだいです。
ひらおよぎのしかたもわすれていました。きたじまこうすけせんしゅみたいにおよいでみたいとおもったのに、まえにすすまないししずんでいくだけでした。どうしてなのかわかりません。
50メートルおよいでやすむ、およいでやすむをくりかえしました。ゆっくりだったけれど、すこしずつむかしのかんをとりもどしていくかんじがしました。こうはんはとてもきれいなおよぎかたになっていたとおもいます。おなじプールでおよいでいた女子のみんなの目はハートのかたちになっていたのではないでしょうか。くぎづけです。もてもてです。
1キロとすこしおよぎました。ひさしぶりなのにがんばりすぎてしまいました。ひさしぶりだからがんばりすぎたのだとおもいます。
プールから帰るときは、コーラをのむかアイスクリームを食べながら帰ろうとおもいました。ガリガリ君のソーダあじを食べながらじてんしゃにのって帰りました。そういえば、こどものころはこんなふうに夏休みをすごしていたなあとおもいだしました。
帰りついたら、すごくつかれました。しょくよくもないくらいです。こんやはこの日記をかいたらすぐにねようとおもいます。サッカーをみたいけれど、あんなおそくまでおきていられないとおもいます。はやねはやおきです。ぐっすりねむれそうなきがします。
えにっきのえは、ぼくがおよいでいるところです。いっしょにおよいでいるのはシーズーのらんまるです。しえいプールはいぬはいっしょにおよげません。だからいっしょにおよいでいるきもちでおよいでいました。
おしまい。
くもっている空が、銀色に輝きはじめる。
そんな時刻、あるでしょ。
* * *
眼鏡を新調しました。
先日、映画を観にいったときにどきりとしたんです。あ、字幕が、見にくくなってる。
ぼくは乱視が強いので、ああ、ますますひどくなっちゃったのかと。
不注意で踏みつけては自己流で曲げてなおすことをくりかえしていたので、フレームもずいぶん歪んでいたと思います。
眼鏡に関しては、迷うことなく、市内の「メガネドラッグ」。
ここの接客はとても気持ちがいいのです。疲れてささくれだったこころを癒してさえくれる。そんな、なにかがあります。毎週、通いたくなるくらい。
応対がていねいである、というだけじゃないんです。
ことば使いはきちんとしているのに、不愉快にさせられる対応というのはいっぱいある。はからずも、ぼくも慇懃無礼な態度だけはなぜか得意です。
でも、この店舗のメガネドラッグだけなのでしょうか。親身になってくれているということが、文字通り、全身で感じられる。
視力検査からフレーム、レンズの選択まで、安心して相談、まかせることができる。
とくにフレームを選ぶというのは、なぜだかはずかしくて、ぼくはむかしからとても苦手。ですが、この店だとずいぶん気楽に気分よく選ぶことができる。
この雰囲気はなんなんだろう。この店の人たちは、どんな社員教育を受けているのか。以前から、すごく興味があります。
メガネドラッグ教という宗教があるんですよ、きっと。で、強烈なドラッグと激しい電波をあたえられることで、社員はみな洗脳され人格改造されることになる。完全接客人間へと変貌を遂げるわけです。
すみません、あぶないですか。ちっともいい想像ではありませんね。でもほんと、それほど「いい」んです。
なんて、洗脳されているのはぼくのほうですね、これじゃ。
検査の結果、乱視はひどくなっておらず近視が進んでしまったとのこと。とりあえず老眼化というわけではなさそうです。
これまでよりも細身。そのシャープなフレームに、ちょっと贅沢して両面非球面レンズ。
できあがりは10日後になります。
* * *
眼鏡を作った以外は、本ばかり読んでいた一日。
歌野昌午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)
なるほど、これは映像化絶対不可能ですね。むりやり映像化するなら、この小説のおもしろさの99%を捨てなくちゃならない。ははは。でも、どうしても残るのは、マンガを読んだあとみたいな読後感。いえいえ、もちろん、キライじゃないですよ。こういうミステリ。
呉智英『健全なる精神』(双葉社)
こんな博覧強記できちんと偏屈なおじさん(おじいさん、とはいうまい)には、もっともっと増えてほしい。ちょいワルなんて、あれはあれでみっともなくない? 男なら、すべからくこういう高齢者(失礼)を目指すべし。ぼくは残念ながらダメっぽい。マネできたとして、せいぜい偏屈になれるくらいか。もうすでにじゅうぶん偏屈だ、という説もありますけれど。
池田晶子『暮らしの哲学』(毎日新聞社)
『人間自身 考えることに終わりなく』(新潮社)同様、死の直前までの思索が収められた最後の著作。病魔が体力を奪っていくようすが、『人間自身〜』を読むと痛々しいほど伝わってきます。
ペンを握る力がゆっくりと、しかし確実に衰えていくようす。もともとこの著者には、週刊誌ペースで時事ネタなんぞあつかってほしくない。そんな思いがありました。
二次情報、三次情報で時事ネタを切る、それはいい。けれど、元となった情報がのちのち事実誤認だったと判明することが往々にしてあります。そうなると、せっかくの鋭い切り口も「そこ、切るところではないんじゃないかなあ」ということになりかねない。そんな橋は渡ってほしくなかったな。
雑誌連載に関しては、いつも、僭越ながら、どこかハラハラしながら見守っていた気がします。
こちら『暮らしの哲学』も、いまどきの話題をあつかっている。でも、全体としては、春夏秋冬、時候の移り変わりに思いをはせる、といった趣。語り口も、これはもしかしてテープ起こしなのだろうか?そう思ってしまうほど。最後に見せていただいた、やわらかさ。泣きたくなるような、静謐。
フレドリック・ヘーレン『スウェーデン式 アイデア・ブック』ダイヤモンド社
最近は、この手の本、好んで読んでいます。ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』(阪急コミュニケーションズ)とかジャック・フォスター『アイデアのヒント』(阪急コミュニケーションズ)とか。ビジネスで終わる話ではないんですよね。シンプルであること。こうした本を読むことによって、いま、ぼくはその指針を探しています。
林 公一『擬態うつ病』宝島社新書
現在、ほんとうに苦しんでいるうつの人は読まないほうがいいような。そんな、ちょっと不思議な良書。ぼくの場合、病気としてのうつとか擬態うつではなくて、気質的というか、生まれてこの方、からだの隅々、細胞のひとつひとつにいたるまで、もう生粋のうつ、なんだよなあ。いや、ほんと。でも、そうだと認めることで、あきらめもつくし、覚悟もできます。
ひさしぶりの一気読み、さすがに満足。
明日は、読書以外のことを。
肌寒いくらいの朝。
一日中、雲におおい隠された空に、飛ぶ鳥も、見ず。
こんな空を期待していたのだけれど。
* * *
今夜、参議院議員選挙の期日前投票にいってきました。
投票のさいには、公約や主張、プロフィールをきちんと吟味しなければ。それはわかっているんです、わかっているんですが……。
各候補者に、どうも、それほど差違があるようには見えないんですよね。
選挙期間中ってのは、とくに、そんな気がします。よって立つ位置で、方策や表現はちがいます。けれど結局、みんな「国を政治を生活をよくします」と声高に叫んでいるわけで。
ましてや今回は「年金をめぐる選挙」といわれている。国が責任をもって支払います、100年は安心の制度です。そういってきたけれど、本来あたりまえであるべきことがあたりまえでなかった。それをあたりまえに実行するようにします、というのがみなの主張だから、ますますその差がわかりにくい。
ぼくの頭では、残念ながら、理解不能。かれらがなにを話しているのかすら、わからないときもある。えええっと、それって、たぶん、きっと、日本語なんですよね?
だれが当選してもいいです、政治家になった暁には、うまいことやってください。とりあえず、そんな気分。
* * *
ぼくは、投票は、選挙ポスターの貼られているあの立て看板を眺めて決めることにしています。
「この顔はマズイだろ」
「ま、これなら及第点か」
そんな感じに、立候補者の「顔」で判断する。
「いいかげんだ」と怒られたことがあります。そうかなあ、そうかもしれない。でもやっぱり本心は、不真面目だとも不謹慎だとも失礼だとも思っていなくて。
人の品性って、その人の顔に出てしまうんですよね。どんなに隠そうとしても、ごまかそうとしても、おそろしいことに、表れてしまう。
なので、自分の顔を鏡に映すとき、ぼくは心底うんざりするのだけれど、「表情」ということばの重みが、そういうとき、あらためて得心できる気がします。
なんでそんなにみなさん政治家になんぞなりたがるのか。そのへんの感覚というの、ちっともわからない。でも、ならば。せめてそのなかで品性がいちばんマシそうな人に投票したいと思っているわけです。
ポスターの顔で、それが判断できるのか。
写真の修正なんていくらでもできてしまう。そんな事実は、コンピュータの普及によっていまや常識となりました。ところが、修正すればするほど、元の写真から離れていけばいくほど、そのことによってかえってその「人となり」が浮かび上がってしまったりする。
美容整形した人は、1ヶ所変えると、そのうちまたべつの箇所も手術したくなるらしい。「部分」に手を加えることによって全体のバランスが崩れているのに気づいてしまうから、なのだそう。
究極には、全改造? でも、それでも、期待していたとおりになるとは、かぎらない。
たかが写真、されど……。好感度を上げようと、やたらめったらいじってしまうわけにはいかない。
また、あれこれ規制があるためか、なにかのげんをかついでいるためか、選挙用のポスターというのは、いつみてもどれをみても古色蒼然としていますね。デザインとかセンスといったものが、まったく感じられない。ああ、でも「だからこそ街の風景のなかで目立つのだ」という理由があるのかな、もしかして。それならそれは、立派な戦略です。
ともあれ、選挙用ポスターというのは、あんがい素直。各候補者の顔、きちんと比較できるのではないかと思っています。
* * *
今回もしっかり、立て看板の前で吟味しましたよ。
東京選挙区は定員5人に対し、候補者が20人もいる大激戦区だと聞いていました。でも、掲示板は、思いのほか、すかすか。ポスターを貼っていない候補者がずいぶんいる。
ポスターに頼らないという考え方で活動しているのかもしれません。支援者が少なくて、都内すべての掲示板にポスターを貼ることができないのかも。
こういう候補者は、もうしわけないけれど、考慮に入れません。
ポスターを使わないなら使わないで、それでけっこう。自己アピールの貴重な機会をみずから捨てることを選択したなら、その結果も、引き受ける覚悟があるはずです。ポスターを貼ってまわる支援者を集められない人というのは……。そもそも人望がないというか、そのていどの動員能力すらないという時点で、そのう、政治家としての基本的資質に欠けてません?
* * *
投票、それから食事をして帰宅したら、あれま、選挙公報が届いていました。残念。もう1日早ければ、きちんと目を通してから投票したのに。
でもね、それでも最終的には、やはりポスターの「顔」で決めます。
いそがしい、めんどくさい、興味ない、なんていわないで。並んでいるポスターを、つらつら眺めてみるといい。
そこに立ち上がってくる、政治家をめざす人たちが、あらわにしてしまっている、なにか。
考えてみれば、ずいぶんウェブログサービスを転々としてきた。
いちばんはじめに使いはじめたのは、iBlog。ウェブログはすでに黎明期を終えていた。ブログ、と呼ばれ爆発的に拡大しはじめていたころのこと。当時、このシェアウェアは.Macユーザーには無料で使えたけれど、ずいぶん不完全なアプリケーションだった。でも、それゆえカスタマイズの面白さにはまった。なにより、文章と画像を組み合わせてエントリを書く楽しさに気づかせてくれたのは、このiBlogだ。
とはいうものの、いちどカスタマイズに失敗すると、そのあと、なし崩し的に挙動がおかしくなる。その繊細さに辟易し、次第にべつのアプリケーションを探すようになった。
ウェブログそのものへの興味というより、.Macの有効利用を探す過程。これがウェブログとつきあうようになったきっかけ。
iBlogから乗り換えたのは、BlogWave Stadio。これも.Macを利用するアプリケーションだった。こちらはあまり使わなかった。iBlogより安定しているという評価もあった。けれど、一長一短、それほど差はないように感じた。
.Macを利用するアプリケーション形式のウェブログに見切りをつけて、使いはじめたのは、livedoor Blogのサービス。アプリケーションの管理をしなくていい。カスタマイズの自由度も高い。それだけでじゅうぶん開放的な気分になれた。
この時期、他社のサービスを試してみるため、大手のアカウントはほとんど取ったのではないだろうか。
結局、それでもlivedoor Blogを使い続けた。いいウェブログサービスだった、いまでもそう思っている。
使っているウェブログをほかのシステムに乗り換えてみたくなるのは、なぜだろう。レイアウトを変えてみたり、サイドバーのブログパーツをつけ加えたり外したりするだけでは解消できない、なにか。たんなる気分転換、というだけですませられない移り気。生活の変化と、それは密接につながっている。
TypePadに移行してみた。ほんの2ヶ月前のことだ。livedoorで書いてきたエントリをまるごとインポートした。システムは安定している。投稿のスタイルも気にいっていた。けれど、長くは続かなかった。
有料サービスだけあって、うっとうしい広告が表示されないのは気分がよかった。けれど、テンプレートに手を加えようとすると、いちばん高い「Pro」というプランを使わなくてはならない。月額1,260円。年5,000円足らずでドメインを取得しレンタルサーバを借りられるご時世、この価格はずいぶん強気だ。「URLがいいから」それだけで使っている人を知っている。mac.comのメールアドレスを使用したいがために、.Macの料金を毎年「お布施」し続けているみたいな話。
これを機会に、いっそレンタルサーバを借りてMovableTypeかWordPressを導入するという手もある。以前から、結局それが最終到達点ではないかと漠然と考えていた。でも、ウェブログサービスの爛熟しているいま、そんなことに労力を費やす意味はあまりないような気もする。
流浪流転した結果たどりついたのが、このblogger。
サービス開始当初は魅力的には思えなかった。知らないうちに着実に進化していたんだなあ。ちょっと感慨深い。
大手ブログサービスのハデさはない。Googleのサービスという先入観がそう見せるのか、どこか無機質で冷徹な印象がある。国内で生まれたものでないせいか、バタくさい。完全にローカライズなんぞされっこない、そんな雰囲気すら感じる。でもそうしたことは、みな、利点でも欠点でもない。
現在、他のウェブログサービスからのインポート、そしてエクスポートの機能がない。クラシックレイアウトだけでなく、新しいレイアウトでもFTP投稿をサポートしてほしい。小さなことだと「最近のコメント」くらいは標準で使えればいいと思う。でも、こうした機能はそのうち実装されるはず。
いま、とてもわくわくしている。書くことにシンプルに専念できるような気がしている。
新しいことをはじめるまえに、ほんのすこしだけこれまでをふりかえってみた。
「いろんなことがあって、いまがある」
これが、ちかごろ、気に入っていることば。